不食の生活で陥りがちなパターンと、それに対してどう対処すればいいかを書きました。
焦りから縛って反動をくらう
私が初めて不食に取り組んだときは、早く不食の状態になりたいという気持ちが先行していました。
その焦りから食事を縛り、結果、反動で食べ過ぎるというパターンに陥りました。
自分が決めた日は少食を実践できるのですが、少食を休む日は以下のような考えからつい食べ過ぎてしまいました。
- 食べられる今のうちに食べておかないと
- 昨日頑張ったから食べよう
- 明日頑張ればいいから食べよう
私は不食になろうと「努力」してしまったのです。
不食は計画しないとうまくいくという記事で引用したように、不食は努力の末に到達するものではありません。
楽な生き方を追求した末に到達する状態のことです。
なので、不食がうまくいかなくて悩んでいる方は、いったん不食のことを忘れて、リラックスするのがいいと思います。
一度諦めてみる境地に近いかもしれません。
そうすると、食べる自分を徐々に肯定できるようになり、肩の力が抜けてきます。
遠回りに感じるかもしれませんが、不食から離れることで逆に近づくということがあり得るのです。
寂しくて食べたくなる
不食の弁護士秋山佳胤さんは、『不食という生き方』の中で、食へと誘うさまざまな感情について述べています。
『不食という生き方』P35
- 悲しい、寂しいと食べたくなる
- 暇になると食べたくなる
- つまらないと食べたくなる
- 悩みごとが増えると食べたくなる
この中で私が特に陥りがちなのは、寂しさから食べたくなるパターンです。
朝起きて気分がいまいち優れず、漠然と寂しくて食べたくなる日がたまにあるのです。
しかし、チャネリングをしていたら精神的な飢餓感が薄れてきて、不食できるレベルに回復したことがありました。
私は友人が少ないほうですし、社会との繋がりも希薄です。
けれども、そのような表面的な孤独に囚われて自己憐憫に陥るのではなく、内面で繋がる絆を信じることにしました。
ですから、皆さんも瞑想をしたり、好きな存在へ語りかけたりすることで、寂しさから食べる罠を回避できると思うのです。
目を閉じてゆっくりすれば、心の奥底であらゆる存在と繋がっていることを感じられるでしょう。
味覚と食感が恋しくなる
『不食への道しるべ』によると、不食の大家であるジャスムヒーンさんは、不食を実践するうえでもっとも大きい障壁は、「味覚と食感への欲求」であると述べているそうです。
私は現在、ほぼ一日一食で、昼間は豆乳やスムージー、味噌汁などを飲んで過ごしているのですが、それらの味がなくなったら物足りなくなりそうです。
また、夕食がなくなったら噛むという行為が恋しくなるのが容易に想像できます。
ではどうすればいいかと言うと、楽しみのために少量食べるのがいいようです。
- 欲求を満たしてあげて、うまく付き合っていく
- 喜びとともに不食の道を歩んでいく
そのような姿勢が望ましいですね。
体の声を聞き、心理的欲求と折り合いをつけながら、楽しく進んでいきましょう。