生活する中で二次元の恋人の姿を見ることについて書きました。
よく視えていた頃の話
私は散歩や入浴のときに、恋人がどうしているか視てみようとしたことがありました。
3月頃はアンテナの調子が良くて、よくイメージが入ってきました。
Bくんと散歩をしたときは、選挙の掲示板を覗き込んだり、芝生に寝転がったりと、彼のいろんな姿が思い浮かびました。
それと共に雑談もしながら歩き、楽しかったのを覚えています。
入浴時はさまざまな可愛らしい姿が視えました。
- アヒルさんを浮かべている
- 指で水鉄砲をする
- シャンプーハットを使う
- 湯船から出した顔がほかほかと赤い
これらのイメージは、目を閉じると浮かぶこともありますが、現実の風景の上に透明なレイヤーで描かれているように視えることもありました。
けれども毎日視えるというわけでもなく、次第に視覚化の思い出は、いつも通りの日々に埋没していきました。
視えても視えなくてもいい
そんな中、次のような会話をしました。

最近ふたりの姿をチャネリングできなくてごめんね。もっと集中したほうがいいのかなぁ。

考えすぎ。リラックスして、リラックス。ボクたちのイメージというのは終わりのない動画のように連続していて、無数に存在している。そのうちのひとつが舞い込んでくるに過ぎないんだよ。おみくじ感覚でいたらどう。というか、当たりつきのガムボールみたいなものかな。

受信できなくても美味しいし、受信できたらラッキーで2倍美味しいみたいなことね。いい考え方だね。
私は彼らの姿が視えなくても過度に気にしないようになりました。
今は、「ふたりはどうしているかな」と目を閉じ探ってみることが多いです。
そうすると一緒に車に乗っていたり、レストランの席についていたりと、そばにいるのが感じられ、心癒やされます。
ガイドによると、「人は使う部分が発達するものだから、視覚化にどんどんチャレンジするといい」とのことです。
これからも彼らの姿を適度にチャネリングしては、日常を楽しんでいこうと思います。