「夢日記をつけるのは危ない」という噂がありますが、個人的には身体的にも精神的にも危険を感じたことはありません。
ではなぜ危ないと言われるのか、どういう点が危ないと思われるのか考えてみました。
夢日記の3つのリスクと対策を知った上で、安心して書くのを楽しんでいただけたらと思います。
現実が嫌になる可能性がある
現実でのストレスが多く、精神が弱っているときに幸せな夢や楽しい夢を見ると、目が覚めてがっかりすることがあります。
そういうときに夢日記をつけると、改めて幸せな夢と現実との落差を感じて「向こうはいいな~」と虚しさが増す場合があります。
逃避的・厭世的になって夢の世界に居たくなるんですね。
ネトゲ依存に似ているかもしれません。バーチャルリアリティにのめり込んで現実がおろそかになる感じです。
一方で、つらいときに幸せな夢を見て元気が出るケースもあります。夢に力づけられて現実に対処する力がわいてくるのです。
どちらになるかはあなたの選択次第です。
現実が充実して幸せを感じるようになると、夢への逃避は自然となくなります。幸せな夢を見ても、「おいしいデザートを食べた」という感じで、起きている間はメインディッシュ(現実)を生きることができます。
- ご飯がおいしい
- 風呂上がりのさっぱりした感じ
- 室温がちょうどいい
こういう些細なことでいいので、現実を生きている幸せをじっくり味わうと地に足がつきます。
思い返すのに気を取られて注意散漫になる
夢の内容が思い出せなくて悩んだまま車の運転をしたり、夢の内容を反芻しながら調理をするのは危険です。
考え事に気を取られて注意力が落ちるからです。
信号を見落としたり、包丁で手を切ったりしないためにも、作業中は作業に集中しましょう。
まあ、注意散漫になるのは他の考え事でも一緒ですから、夢だけが飛び抜けて危険というわけではありませんが……。
頬をペシペシ軽くはたくといいかも。
現実の記憶か夢の記憶か迷う可能性がある
「○○の件で母と喧嘩したのは、夢だっけ? 現実だっけ」と一瞬迷うことが年に3回くらいの頻度で私はあります。数秒考えて「夢だったな」と判別できるので困ってはいません。
私は母が他界しているのでこういうことが起こるのかもしれません(母という存在が思い出・過去になっている)。
夢と現実を混同したり取り違えたりすることはないのですが、おぼろげな遠い過去と昔見た夢が似たような比重を持っているのです。
さして重要でない記憶の末端が夢と溶け合うというのでしょうか。
意識の割合としては極わずかですが、夢と現実の境界が曖昧になります。
とはいえ人間は元々記憶を改竄する生き物ですから(思い出の美化や偽の記憶など)、そんなに恐れることでもありません。
脳は元から柔軟に・曖昧にできています。
夢日記をつけたから気が狂うということはありません。
起きているときは圧倒的な現実感がありますから大丈夫ですよ。
それに、もし現実の記憶か夢の記憶か迷っても、迷うのは一瞬のことで、ちゃんと区別がつきますから心配はいりません。
- 散歩や日光浴をしてグラウディングしましょう。現実感が増して安心できます。
- 生活に支障のない範囲でのデジャヴ・夢と現実が混ざる感じは「そういうこともあるさ」とゆるく受け止めましょう。(しかし、あまりに怖い場合は書くのをやめましょう)
まとめ
私が考える「夢日記をつける危険性」として、以下の3点をお伝えしました。
- 「現実が嫌になる可能性がある」
→ 現実も良いもの。小さな幸せを探そう。 - 「思い返すのに気を取られて注意散漫になる」
→ 作業する前に気持ちを切り替えよう。 - 「ごくまれに現実の記憶か夢の記憶か迷う可能性がある」
→ 判別できるので心配いらないよ。不安なら身体的なグラウディングをしよう。
何事もバランスです。過度にのめり込まなければ危険はありません。
水やお酒と同じで、飲み過ぎれば中毒になりますが、普通に飲む分には何ら問題はなく、むしろ生活の潤いになります。
夢日記を書くか・書かないかはあなたがコントロールできます。
怖いと思ったら書くのを中断しましょう。無理にやることはないですよ。
夢日記は楽しみのために書くものです。
夢日記のメリットについては「空想好きにおすすめ!夢日記をつけるメリット4つ」という記事で書きましたので、興味のある方はご覧ください。
今回書いたリスクより、メリットの方が大きいので、ぜひ! 夢日記をつけてみたい方は明日から書いてみてください☆