私はインドカレーが好きで、時々無性に食べたくなります。スパイスの利いたおいしさはもちろん、ナンを手でちぎって食べるのが不思議と落ち着くのです。
たぶんインド人だった頃があるのだと思います。インド神話の濃い絵も妙にしっくりきますし。
さて、先日、池袋に行く用があり、お昼にインドカレー屋さんに入りました。
そこで、すごい仕事をしているのに「無理している感じがしない」。そんな店員さんに出会いました。
「テキパキ動くのがデフォルト」という個性
そのお店では、インド人であろう女性が一人でホールを担当していました。
- 店に入ってきたお客さんを挨拶で迎え、食事を済ませたお客さんのレジを打つ。
- 注文を聞き、厨房へ伝える。
- 料理を運ぶ。
- ドリンクを作って出す。
- おしぼりとお冷やも出す。
- ナンのお代わりを厨房に伝える。
- テーブルに目を配り、お冷やを足す。
程々のテンションでこれら一連の仕事を踊るようにこなしていました。
常に何か動いていて、ホールの片隅でじっと休むということがありませんでした。
次にすることを探しているような軽やかな動きです。
こういうのが好きなんだろうな(常に動くような仕事が)。
私は感心しました。
同時に嬉しくなりました。
そのお姉さんは、「無理している」感じがなかったのです。「頑張って」テキパキしている感じがなかったのです。
言うなれば大家族のお姉さんが下の兄弟たちの支度を手伝ってあげるような自然さでした。
もっと言うとマグロが泳いでいるような、トンボのはばたきのような感じです。
ただの生命活動というか、その活動に適しているように作られているというか……。
そう、呼吸の延長のような感じがしました。
仕事をしているという感覚すらないような印象を受けました。
他人の個性はすばらしい。卑下じゃなく
常に変化する状況。即時の対応。多数への気配り。
次々とするべきことが生まれ、複数のことを常に気にかける。
こういったことは私が苦手とすることなので、素直にすごいなと思います。
そして今回は、そういった「私の不得意」を軽々とこなす他人の個性が嬉しくなったのです。
違うタイプの宝石を見つけたような心地です。
その宝石がちゃんと台座にはまっていて、輝いていた感じです。
人の長所で嬉しくなるなんて。
元気のなかった頃の私なら、比べる必要もないのに比べて、めげていたかもしれないのに。
今は自分と違う色を見ることが、単純に楽しいです。
まとめ
今回の嬉しさを言葉にするなら、次の二つが理由になると思います。
一つは、仕事と個性がぴったり合致していることのすばらしさです。
ホールのお姉さんは笑顔が過ぎるという訳でもなく普通にしていただけだったのに、私は自然な愛を感じて心地よく食事ができました。
ある人が、楽にできて、それなりに好きな仕事に就いたとき……本人も周りの人も意識しないうちに、よいエネルギーが滔々と流れる。
そんな現象の一端を肌で感じたような気がします。
もう一つは、適材適所の嬉しさです。
私は私でいいし、あなたはあなたでいい。その再確認ができて安堵したのと、それぞれの長所で世界を担っていける美しさを感じました。
世界はとてもよくできています。すごーく大きいジグソーパズルです。誰かの苦手が誰かの得意です。
背伸びしないで輝ける場所が、一人ひとりにちゃんとあるんですね。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。