そのアシュタールのチャネリングは偽物?本物?【体験談】

スピリチュアル

高次元の存在として名が知れているアシュタール。実は、彼は例外を除いて個人セッションに出ないことをご存じでしょうか?

私はアシュタールのツインフレームであるまどかさんのブログ記事で知りました。

ちょうど「アシュタールが導くグループワーク」に参加した数日後のことだったので衝撃的でしたが、思い返すと何点か違和感があったので腑に落ちました。

今回は、アシュタールの名を冠したセッションでの違和感と、そこから学んだことについての記事です。

アシュタールのチャネリングセッションに感じた違和感

最初に断っておきますが、私の参加したチャネリングセッション自体は愛情を感じる素晴らしいもので、チャネラーの方には感謝しています。

けれども、以下は「アシュタールそのものではなかった」という真実に基づいて、識別力を磨くために記録するものです。チャネラーを非難する意図はないことをご理解ください。

テンションや話し方がいつもと違う

まず「アシュタール」が話し始めて、「あれ? いつもと違うな」と思いました。まどかさんの所で感じたアシュタールと違うなぁと。
でも、「このチャネラーを通るとこうなるのかな」と思い、ハイテンションで、愉快で、時折サンタクロースのような笑いをもらず彼をアシュタールとして受け止めていました。

でも、喋っていたのはアシュタールじゃなかったんですね!

あとから振り返ると、このセッションでの「アシュタール」は、チャネラーの普段の人格の延長線上にあるキャラクターでした。テンションやノリが同じなのです。
ですので、今回は「チャネラーのハイアーセルフと思い込みで構築した想像上の人物」(4番のパターン)かなぁと思いました。

「ナンバーワン」という贔屓

参加者一人ひとりに向けたチャネリングが始まって、「アシュタール」は私に言いました。
「あなたはナンバーワンです。違うと思っているでしょう? でも、ナンバーワンだからその席(チャネラーに一番近い席)に座ったんですよ」

これを聞いて、まずハートに違和感があり、すぐにマインドに戸惑いが広がりました。
「彼はもっと広い愛をもった存在だから、こんなことを言うとは露ほども思ってなかった」「彼はこんな序列をつけるような言い方はしないと思ってた」という感じです。

でも、アシュタール本人だと思い込んでいたので、「他の人がナンバーワンじゃないという語弊を招いてもなお私を励ますメリットが(全体の利益として)あるのかな」と、一番弟子認定のようなその言葉をありがたく受け取りました。

でもアシュタール本人じゃなかったんですね(笑)

偽物のアシュタールを通して学んだこと

偽物と言うと語弊があるかもしれません。まどかさんによると、「彼をチャネルしたいと願う者たちに対しては、彼は、彼らのメッセージに積極的に自分のエネルギーを足してあげ」ていたようなので、数%は本物だったと言えるかもしれません。

例えるなら果汁3%のオレンジジュースと、果汁100%のオレンジジュースはどちらもオレンジジュースと呼べるのではないかということです。

けれど、その数%を100%(本人)だと錯覚していた事実について、もしこれがもっと巧妙な罠だったらどうなっていたんだろうと、ちょっとぞっとしました。

「識別力のレッスン」の動画の中でアシュターが述べているように、

おかしいと気づいたときに、そこを曖昧なままにして進まない

曖昧なままにしたまま進むことの危うさ

を今回の出来事を通して学びました。

  • 人間は自分の採用する信念に沿って現実を曲げてしまえる。
  • ちょっとの違和感には目をつむって納得してしまえる。

ことを実感しました。危ない、危ない。

とはいえハートはいつも正確に識別してくれるので、恐れることはありませんね。

  • 違和感を無視しない。理由付けをして納得しない。
  • メッセージの奥にある振動(感じ)と、私にとっての真実(いつもの○○)を比較・参照すること。
  • 本物であると裏が取れているものについては、そのエネルギーをよく覚えること。

これらを意識して、これからの情報社会を乗りこなしていこうと思います。

追記:自分の真実を勧めるバランス

この記事を書いてから半日経って、「気をつけてはいたけれどジャッジしてしまったかな?」と少し反省しました。
「すべてが愛である」という視座に立つと、偽物も本物もないのかもなぁと少し思いました。

私が真実だと感じるアシュタール・カフェでのアシュターではなく、他のアシュターを真実だと感じる人もいるでしょう。私が感じているのと同じくらい、その人にとってはまごうことなき本物なのです。

それを、どちらが正しいかと決着つけようとすると宗教戦争になります。
なのでニュートラルな記事になるよう気をつけていたのですが……。もし記事から偏ったエネルギーを感じたらすみません(^_^;)

でも、時に語気が荒くなるのはよりよい(と私は思う)事実を知ってもらいたい!という気持ちによるものだと思います。そこをうまくバランスとっていきたいです。

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