どうして一部のヴィーガンは過激な活動をしたり、攻撃的になったりするのか、ベジタリアンの筆者が考えてみました。
動物への愛が高じて攻撃的になってしまう
一口にヴィーガンと言っても、動物性のものを食べなくなった理由は様々です。
健康にいいからヴィーガンになった人もいれば、環境に優しいからなった人もいるでしょう。
しかし、大多数は動物への愛を理由にヴィーガンを選んでいるのではないでしょうか。
そのような人は、動物には人間と同じ命の重みがあると感じています。
食料としては見れないのです。
なのでスーパーのお肉売り場や卵売り場を見れば、畜産動物の扱いに心が痛み、肉フェスのイベントに出会ったあかつきには、祭りと称して自分の家族を食べられているような気持ちになります。
悪夢だと感じませんか?
- 牛や豚は人間と同じように痛みを感じ、家族愛のある生き物である
- 多くの乳牛は人為的に妊娠させられ、牛舎に繋がれたまま過ごしている
- 卵用の鶏はバタリーケージという小さな金網に閉じ込められている
このような現状に「気づいてほしい」と始めた活動が、人々の無関心や冷たい言葉に触れるにつれ、「なんでわからないんだ」という怒りに変わってしまいます(一部の人は)。
そうなると、どうしてもわかってほしくて、通りにショッキングな写真を掲示するなど過激な活動になってしまうのです。
過激派ヴィーガンの持つ課題
ここで考えたいことがひとつあります。
過激なヴィーガンは動物への愛が大きい人です。
では、違う考えを持った人への愛はどうなのか? そこに彼らの学びがあります。
- 自分の主張を押しつけるのではなく、勧めるだけに留められるか
- 自分と違う考え方を尊重できるか
こうした姿勢が問われています。
ヴィーガンに求められる姿勢
肉食をやめるには、ある程度波動(周波数)が高い必要があります。
波動が低い人は、動物がひどい扱いを受けているという情報に触れても、「それがどうした」とか、「家畜なんだからしょうがない」という反応になってしまいます。
単に、心と頭が動物福祉を理解できる周波数に達していないからです。
そういう人たちの進化を祈って、待てるか。
動物へ愛情をかけるように、違う考え方の人へも愛を送る姿勢がヴィーガンの理想だと私は思います。
攻撃的になるもうひとつの理由
すべての人に当てはまるわけではありませんが、ヴィーガンが攻撃的になるのには、もうひとつの要因が考えられます。
それは、本当は肉を食べたいのに我慢している場合です。
「もともと肉料理が好きだったけど、動物がかわいそうだからやめる」という人は特に陥りがちです。
食べたいけど我慢すると、欠乏感が出ます。
肉を食べている人を見ると、何%かは羨ましいと思ってしまう。でもまさかそんな気持ちは認められないので、抑圧する。それが次第に、他人への怒りにすり替わっていくのです。
肉の味が好きな人は、いきなりヴィーガンになるよりも、まずはフレキシタリアンから始めるのがいいと思います。
植物性の食事を基本としつつも、肉を食べたいときは食べて、徐々に心と体を慣らしていく。
そうして自然と「もう食べなくてもいいかな」と思えたら、食べるのをやめる。
このような手順を踏めば心身のバランスが取れ、肉食を見ても攻撃的になることは少なくなるでしょう。
まとめ
ヴィーガンが過激・攻撃的になる理由は、
- 動物への愛情が非常に大きいから
- (一部の人は)本当は肉を食べたいのに我慢しているから
ヴィーガンに求められる姿勢は、
- 主義主張を押しつけるのではなく、勧めるだけにする
- 自分と違う考え方を尊重する
- 人の進化を祈って、待つ
- 動物へ愛情をかけるように、違う考え方の人へも愛を送る
以上です。ここまで読んでくださりありがとうございます。