私の目尻にはシミがある。
しばしば眼鏡をかけるので、屈折した日光が集中的に肌を焼いた結果だと思う。
よく見ないと分からないし、コンプレックスではない。
ある夜、使い切るために美白用美容液をつけていて、こんなことを思った。
シミも結構かわいいけどね。と。
嫌いじゃない。
個性的で好きだという感情があるのに気づいた。
キャンディ・ホワイトのそばかすをチャーミングだと思う感じに似ている。
かつてドリーン・バーチューが言っていたことを思い出した。
シワは人生の証なので好きだし、誇りです。というようなことを。
とてもポジティブな姿勢で、これを聞いた当時の私は感動した。
無理に美しくしようとしなくていい
魂が文句なしに美しいのだから、体の美しさは程々でいいのかもしれない。
美しくするのが楽しい人は追求すればいいけど、恐れから美しくしようとするのはしなくてもいいんだろう。
魂に目覚めてきて、「まわりがどう言おうと私は私が好きだ」という健全な自己愛/自己肯定感がでてくると、凝り固まった美のイメージから自由になってくるのだと思う。成長する中で自然と。
「美しくしなきゃ」という恐れから自由になる方法
とはいえ、周囲の人間や社会の意識が追いついているかという問題?はある。
周囲と葛藤がある時は、上昇した意識を持つ人たちに触れるのがいい。
具体的には、次のような人々の本やブログを読んだり、動画を見たり、会って話したりするのがいい。
- シミやシワなどを含め自分をまるごと愛していて、老いを楽しんでいる人
- 太っていたり、体のパーツが一般的な美しさとは違ったりしても堂々としている人
近頃だと白髪染めをしないで地毛の美しさを生かす「グレイヘア」の人たちが話題だ。
そのような自由で、軽くて、愛のあるあり方に触れると、安心するし、勇気をもらえる。そして、古い価値観から脱却する後押しになる。
シミを好きになるには、体の気持ちになるといい
シミが嫌だってことは、自分が嫌いってことで、悲しい状態だ。
シミができるのは紫外線に対応しようとしたからだ。吹き出物なども、解毒とか、荒れた環境への抵抗とか、何かしら意味があると思う。
体の異変というのはみんな体にとって意味があるんじゃないか?
そして、その裏には必ず体の頑張りがある。
シミと、自分のそれを嫌う人間(体の主)の関係を例えるなら、風邪を引いた子どもにつらく当たるようなものだ。そういうもの悲しさがある。
子どものかかった病気が治るもので、治したいなら、優しく接して治療するよね。
治らない病気なら、ショックかもしれないけど、丁寧に寄り添うよね。
自分を困らせるために降ってわいた症状なのではなくて、声なき努力や理由があって、それらに気づいてほしいから表面化するんじゃないだろうか。
私は、もし将来体の変化が気になっても、それは自分の観念と向き合うためのギフトだと捉えて、感謝したいと思う。
自分の体に「愛しています」と言う方法
最近、化粧水をつける時はもちろん、保湿液を塗った後にも仕上げとしてハンドプレスをするのだけど、その時に自然と「いつも私でいてくれてありがとう」「愛しています」などと心の中で言っている。自然と。
たぶん、スキンケアはタスクでもあるのだけど、自分を慈しむ行為でもあるから、化粧水をつけることに自己愛の水位も上がっていって(無意識のうちに)、終わったという安堵が引き金になって自然と感謝の/愛おしむ言葉が出てくるのだと思う。
自分の体に「愛しています」と言う方法は、たしかジャスムヒーンの『神々の食べ物』か、ルイーズ・ヘイの『ライフ・ヒーリング』で学んだと思う。
初めはどこか気恥ずかしいような、馬鹿らしいような気になるけど、自分がご機嫌になるためのとてもいいツールなので、みんなに勧めたい。